5月23日(金)に瀧澤家住宅・村上家棟門の見学をしに、栃木県さくら市まで行ってきました!
瀧澤家住宅は、さくら市櫻野地区の旧奥州街道沿いにあり、
通りに面して伝統的な板塀を巡らし、堂々たる長屋門を構えるなど、
旧家の面影を留め、明治期の重厚な雰囲気を良く残している建物です。
平成10(1998)年に歴史的な価値が認められ、
「鐵竹堂(てっちくどう)」「長屋門(ながやもん)」「蔵座敷(くらざしき)」の3棟が
「瀧澤家住宅」として栃木県文化財に指定されました。
これらの建物は、明治時代から大正時代にかけて活躍した実業家・瀧澤喜平治(たきざわきへいじ)によって建てられました。
邸宅は明治25(1892)年の陸軍大演習の際には明治天皇の小休所となるなど、旧氏家地区の歴史を語るシンボルとなっています。
【瀧澤家住宅・鐵竹堂(てっちくどう)】
明治33年に建設された客殿で、喜平治の雅号「鐵竹」から名付けられました。
雅号とは、本名とは別に名乗る名前のこと。
北側の庭園に面して4室をL字形に並べ、東側正面は御車寄と呼ばれる大きな張り出しがあります。
主室は8畳間(御座の間)で、4寸の角柱、1間の床間と違い棚、
壁は張付壁、天井は素木の格天井を用い、金地の襖には山水図が描かれるなど
書院造りの格式を持つ室内意匠となっています。
明治25年、明治天皇の小休所となった瀧澤家ですが、再度の天皇行幸に備えて
十分な準備期間のもとに「鐵竹堂」が建設されたと言われています。
御座の間は、天皇が滞在する室とあって畳の縁など豪華絢爛な意匠でした。
天皇の御厠は、足を入れる場所まで用意されており、びっくりしました!
ガイドの堀江さんのご説明はとても分かりやすく、丁寧にご説明いただきありがとうございました(^^♪
【瀧澤家住宅・長屋門(ながやもん)】
中央部には両開きの大扉を吊り、東側に通用門(潜門)を、正面1階には出窓形式の武者窓が開かれています。
この地方に現存する伝統的な長屋門建築の中でも最大級の規模を誇り、形状も江戸時代の武家屋敷に習った格式の高いもので、
大変に貴重な建物を見ることができ、社員一同感無量でした!!
【瀧澤家住宅・蔵座敷(くらざしき)】
洋風望楼(ぼうろう)を特徴とする氏家地区の象徴的建物です。
明治20年建築の伝統的な土蔵造建物の屋根に、明治25年頃、明治天皇行幸を機に望楼を増築したと考えられています。
内部は数寄屋風の座敷で、望楼は外壁に漆喰を塗り、
4面に半円形の窓とその周囲に唐草模様の鉄柵を巡らした洋風の意匠です。
このような望楼は、明治初期から中期にかけて広く普及し、
栃木県内の旧奥州街道沿いに洋風望楼を置いた建物がつくられました。
しかし、県内で現存するのはこの建物のみで、建築史を考える上でとても貴重で、
今は震災等の歪みでドアが開かないそうですが、この目で見れただけでも光栄でした!!
【村上家棟門】
次は瀧澤家住宅のお隣の村上家の棟門を見学しました!
こちらの村上家棟門はなんと約300年前に建設されたと伝えられています。
門柱に残された印は櫻野村での五十里洪水の最高水位を示すもので、
記録のとおり地面から約1.8mの高さまで水が押し寄せたそうです。
村上家では未曾有の大洪水の実情を後世に伝えるため、
棟門と最高水位の痕跡を大切に守ってきたそうです。
そんな大洪水がこの地を襲ったことにも驚きましたが、
村上家は実際にまだ住まわれている方がいることにも驚きました。
後世に伝えながら、大切に住んでいくことはとても素晴らしいことだなと思いました♪
今回の見学会は、この後弊社で工事を予定している棟門の新築工事の視察で訪れました。
実際に現物を目で見て肌で感じることで、とても勉強になりました!!
棟門が完成したら施工事例でも紹介いたしますので、ぜひ楽しみにしていてください(^^♪
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