| こんにちは! 本多建設の本多和彦です。 |
| 昭和49年(1974年)1月17日(木)、18時56分羽田を発って |
| 香港空港へ着いたのは23時半でした。20日(日)11時 |
| 香港発、羽田には14時半到着。短い3泊4日の旅でした。 |
| 前回のブログにも書きましたが、東京での会社を辞め、 |
| 米沢に戻るにあたり、社長から10万円の慰労金をもらいました。 |
| 台湾か香港のツアーに入って海外にいったらどうかといわれ、 |
| 私は香港を選びました。香港・マカオパックツアー73200円 |
| で若干の小遣いもでき、自分の手持ちのお金を合わせると |
| 十分な旅費になりました。 |
| ツアー参加者は8人で老人夫婦、4人のグループ、一人参加 |
| が私の他にもう一人という、こじんまりとしたツアーでしたので |
| 気がらくでした。部屋ももちろん二人一部屋で、ちょうど一人 |
| 参加が二人でしたので、その人と一緒の部屋でした。 |
| 当時の日記には事細かに書いていませんので、記憶を手繰り、 |
| 今から40年以上も前の初めての海外旅行を思い出してみます。 |
| 宿泊先は香港島ではなく、九龍地区だったはずです。 |
| ホテルの名前は今もあるかどうかですが、エクセルシオ ホテル |
| と言う名前のような気がします。何故今もって覚えているかと |
| いうと、団体での夜の会食が終わり、それぞれが三々五々 |
| 街中の見物に出かけたりして、私も一人で買い物をしたり |
| しているうちに、道に迷い、ホテルの方角がわからなくなりました。 |
| 何度かホテルの名前をいって、聞いて回りました。もちろん |
| 英語で。まだ若かったので若干の慣用句は覚えていました |
| から、「Could you show me ・・・?」それが通じたときの嬉しさ |
| はやっぱり外国に来たんだなあと感動しました。 |
| ところが相手は英語が通じると思い、ペラペラ続けて話しかけて |
| きます。さっぱりわかりません。方角だけは身振り手振りでわかり |
| ましたから、いいかげんにして、サンキューといって別れ |
| 何度か聞きながらようやくホテルにたどり着きました。かなり |
| 度胸もつきました。英会話に文法なんか一切関係ない、知ってる |
| 単語の羅列でなんとか通じるもんだとその時理解しました。 |
| おなじみの名所を回り、夜は二日目も一人でうろうろ歩き |
| 回りました。初日の経験から、あまり怖さがなくなり、見る物 |
| 聞く物、全て珍しく、そして日本では味わえない活気、熱気が |
| 充満して、この街に溶け込んでもいいなあと思うようになり |
| まそした。 |
| この経験が後々の海外旅行の原点になったのかもしれません。 |
| 私はどこへ行っても、観光名所に心が騒ぎません。ホテルに |
| 戻り一人になってその街をブラブラしているのが私の旅の |
| 楽しみとなりました。その街の一般大衆の食堂に入り、地元の |
| 人たちの食べてるものを食べ、疲れたらコーヒーショップに入り |
| コーヒーを飲みながら、持参した小説やガイドブックを眺めたり |
| していると、自分が透明人間になって行くような気がします。 |
| たった4日間の初めての海外旅行でしたが、後年自分の旅の |
| スタイルをこの時はっきりと身につけたようです。 |
| ただマカオに渡った記憶が殆ど残っていません。確か香港島 |
| からフェリーで行ったようですが、そこのカジノや外壁だけ残った |
| 教会の思い出はかすかにありますが、写真を見ても何一つ |
| 思い出しません。多分昼の観光は通り過ぎるだけで、夜一人で |
| ぶらついた思い出が新鮮で強烈だったからでしょう。 |
| 米沢に戻り、自分の人生のリセットをし、全く新しい世界に |
| 入る覚悟がついたのは、この旅行のおかげかもしれません。 |
| 本多建設に入社してから、海外旅行は会社の旅行で二度あり |
| ました。香港・マカオとシンガポールでした。ひとりでぶらつく |
| 旅はできませんでしたが、外国の匂いだけは嗅いできました。 |
| 本格的に旅をするようになるには、14年後の40歳まで |
| ひたすら仕事に打ち込みました。1989年(平成元年)アメリカ |
| に行き、輸入住宅に出会うまでは。 |
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