
昨日の菩提寺の定期巡教には、大勢の参加者がありました。
私は、お当番の時以外では2回目。
昨年お話に感銘を受けたので、2匹目のどじょうで(笑)
和歌山からお越しいただきました。
お話は、ハイ哲学だなあ~。
「少水の魚に楽しみあり」がテーマ。
これは本山「妙心寺」の今年のテーマみたい。
人は死ぬと仏になるけれど、生きている時は衆生という仏なのだけど気付いていない。
すべての人は仏様と同じ心を持っているけれど、なかなか仏だと気づいていないし、気付けない。
「私が」という「自我」があり仏心に近づけない。
仏心とは、目の前のことを素直に受け入れて生きていくこと。
「智慧」と「慈悲」が整えば、多くのおかげで助けられていることに気が付けば、「私が」が邪魔をしない。
「私が」が出てきたら、思いを整えて、さらにさらに整えると「私が」が小さくなり「仏心」が現れる。
「仏心」が出て来ると「智慧」と「慈悲」が出て来る。
今生きていることを楽しみたい。
ハイ、この程度しか理解していないのかと、布教師は嘆かれるでしょう(笑)
こうして言葉で再現するのは難しいけれど、言わんとされている意はわかりました。
哲学みたいなんだけど、「足るを知る」にも似たりかな。
今朝の信濃毎日新聞の「響」に寄せられた78才上原 悦子さんの投稿。「おばあさんのうれしきもの」
引用させていただきます。
〇朝、新聞を取りに行って、燃えるような朝日や消えそうな有明の月を見られた時
〇評判のおやきを孫に買ってきたら、「おいしい、おいしい」と3つも食べた後で、やっぱりおばあさんのおやきの方がいいな」と言われた時
〇お嫁さんから「子供がおばあさんの家に行きたいと泣いているけれど、今日は在宅ですか」と電話が来た時
〇やかんで沸かしたお湯を魔法瓶に移したら量がぴったりだった時
〇野菜の煮物の味が実家の母のようにおいしくなったと言われた時
〇腰痛で泣いていたのに、いつの間にか階段を駆け上がれた時
〇枯れたと思い庭の隅に追いやった鉢の花が、こっそりと咲いているのを見つけた時
〇「○○がねー」とアイドルの名前を言ったら、すかさず「ばあさんなのによく知っているね」と言われた時
〇今晩のメニューは何にしょうかと考えていたら、思いがけずおかずをいただいた時
こんなささやかな喜びを見つけながら暮らしています。
昨日の法話そのものです。