今日は、月1回のエッセーの会。
せっかちな私は、2週間前までには書き上げるようにしている。
何がおきるか分からないから。
今回まさにそれ。
推敲の時間がなかったから、我ながら未完だなと思ったけれど、欠かすことなくできた。
ただ今会員は7人、皆さんの個性というか生き方が面白い。
人生を豊かに生きるということはこういうことだろうと感心してしまう。
年齢を重ねると、だんだん社会参加をしたくなくなるものだが、皆さん凄い。
なんかハッパかけられている。
本日の信濃毎日新聞の建設標の中の「響」の投稿は、安曇野市の71歳の男性だった。
高市首相のこの頃の一連の国会答弁に不安を感じる、話である。
先日の「今日の視角」の姜尚中さんの「国家理性」の寄稿を読み、戦争を起こさないためには、国家、国民双方に冷静な判断力が不可欠だと改めて考えさせられたと言う。
同じページにあった、北澤俊美元防衛相のインタビューに「憲法を変えて、いざ徴兵制の議論になった時に驚いても遅い」とあった。
投稿者の文章を引用させていただく。
先の戦争を止められなかった国家と国民の理性に改めて深い疑念を抱かずにはいられない。代償はあまりににも大きかった。隣国との対話と相互理解が平和への道であり、軍拡よりも理性ある外交努力が必要だと思う。「最悪のケースを想定」し、戦争を前提とするようにも聞こえてしまう説明より、「隣国と理解を深め、戦争は回避する」といった首相の決意を聞きたい。
引用終わり(太字にしたのは私です)
首相の国会答弁は、驚きそして絶望気分になった。
アメリカと同盟国だとしても、ことがあれば、戦場となるのはわが国であろう。
人口は我が国の10倍、賢い人も10倍、資源の格差もある、それとなぜ戦争の可能性も辞さない答弁になるのだろうか。
昨日の初の党首討論の野田氏は、この一件が沈静化に向かうような感じの質問をしているように聞こえた。
この国難に与党も野党もない。
この投稿はまさしく私の思いを代弁してくれていると思う。
「隣国と理解を深め、戦争を回避する」と切に願う。
戦争を知っている世代がいるうちは大丈夫だと語っていた政治家がいらした。
まさにそのようだ。
若い世代の考えが私たちとは微妙に変わってきているのを感じる、もしことが起きれば自分たちが戦争をしなくてはならないことを理解しているのだろうか。
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