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海軍岩村田飛行場の建設の企画展 本土決戦に備えて

土曜日、やっと夫と私の時間が取れて出かけて行ったのは、佐久市臼田文化センターの「海軍岩村田飛行場の建設」の企画展でした。
12月3日が最終日というなんと押し迫ってからです。
 
実は2022年8月12日に公民館講座でお聞きしていました。
その後さらに研究されていて、そのあたりとても楽しみにして伺いました。
 
ところが文化センターなる場所がわからず、迷って、申し込みはしてないけれど説明会に間に合うはずの予定が・・・・・・間に合わなくて。
 
わざわざ特別に説明していただくことに。
 
この企画は上原美次先生。
今同窓会の100周年の記念誌の編集委員長で、お知り合い以上の方なのです。
 
戦争末期の昭和20年の6月に長野県に飛行場が建設されるようになった理由。
戦争に負けた時、多くの書類が焼かれてしまって、なかなか残っていないのをあちこちから、探し出されたようです。
何しろ、ここにかかわった人たちは、今は90歳を超えられる方がほとんど。
史実を裏付けするのは時間との戦いです。
 
戦後生まれの私は、そんなことがあったという噂くらいは聞いたことがありましたが、その存在がどんなものであったかを知るようになったのは、そんなに古くはありません。
読んでいる本の中で知ったのでした。
 
名前は岩村田となっていますが、現在の独立行政法人家畜改良センター茨城牧場長野支場です。
私たちは長野種畜牧場っていう名称の時代が長かったのだけど、ここの管轄も農水省から独行政法人に変わっているのね。
 
昭和20年6月と言えば、戦況は悪化で松代大本営に天皇や大本営を移して本土決戦に備えるためだったのでしょうね。
 
そのための飛行場づくり・・・・・滑走路を造るために、近在の国民学校や中学校の生徒が動員された記録が、学校日誌に残っています。
すごい突貫工事が行われたのだけど、終戦になってどうなったの、というところが興味があるところ。
 今回の企画展にはそのあたりが新しく発掘されていました。
滑走路は1.5キロの長さだと、牧場の敷地だけでは足りなかったから、戦後それらの土地の補償はどうなったのかとか。
一部牧場の土地を破格の価格で譲渡したみたい・・・・・・土地が同じ幅で分割されている公図が不思議だったのが、これかあと何となく納得。
 
この牧場の開設は明治39年。
しばらく前に、この土地を接収された方の「土地を返せ」という話をきいたことがあったから、こちらの歴史も興味深い。
どちらにしても、工事は突然に中断。
大変だったろうね、後始末。
 
そして今朝の信濃毎日新聞の1面「疎開の登戸研究所 態勢わかる公文書」
明治学院大研究員発見。
戦争末期に上伊那地方などに疎開した陸軍の秘密機関「登戸研究所」関係の公文書がみっかったと。
信州の「本土決戦」解明の手掛かりに、とありました。
 
信州には多くの軍機関が移ってきている。
岩村田飛行場もその一つ。この飛行場は海軍だったのね。この当時海軍は手足もぎとられていたようになっていたからね。
飛行機を崖を掘って中に隠すようにする計画だったらしいけど、あの崖に隠すのかあと眺めてしまいます。なんといっても会社のすぐ近くだから。
 
早く目がよくなって、「村誌」を読みたいですね、このあたりのことがどんなふうに書かれているのか楽しみ。
お読みいただきありがとうございました。
 
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