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戦艦武蔵発見に想う

私が就職したとき、最初の配属になった現場は、渋谷道玄坂の野村ビルでした。 現在の地図を見ると、渋谷道玄坂東急ビルと名前が変わっています。 東急が買収したのでしょう。
現場の裏には、キャバレーエンパイヤがあって、一度だけ先輩に連れて行ってもらいました。
エンパイヤは、ドーム型の屋根が特徴で、その昔は力道山がプロレス興行をする『リキパレス』として建てたものです。
力道山亡き後は、グランドキャバレーとして長く営業していました。
最初に配属になった野村ビルですが、同時に配属になった同期に、K君がおりました。
仲良くなってから聞いたのですが、K君の大叔父(祖父の弟)は、三菱重工業の社長だったK氏だったのです。
K氏は、三菱重工業長崎造船所で、戦艦武蔵建造の三菱側の責任者だった方です。
吉村昭の小説、「戦艦武蔵」にも、たしか技師長という肩書きで、その名は出てきます。
戦後は、長崎造船所の第18代所長を経て、三菱重工業社長になられました。
私は、一度だけお目にかかったことがあります。
K君の結婚式が、浅草ビューホテルで行われた時に、受け付けを頼まれました。
受け付けに、K氏が、来られました。
芳名帳に毛筆で2行分の幅で、自分の名前を大きく書いた時には、「偉い人はやることが違うな」と妙な感心をしたものです。 後ろに控えていた夫人が、「あらあら、こんなに大きく書いちゃって」とつぶやきながら、すぐ下の余白に、小さく自分の名を書かれました。
無事に、2名の記帳が、2行で収まりました。
あの時、私は緊張していました。
目の前に、戦艦武蔵を建造した、三菱の最高責任者が居たのです。
この時、K氏から上司がもらった名刺を、見せてもらいました。
名刺には「三菱重工業株式会社 相談役 ■■ ■■」とだけ書いてありした。 このくらい偉くなれば、名刺を見て電話する相手もいないだろうし、これで良いのでしょう。
横浜のみなとみらい地区は、かつての三菱重工業横浜造船所の跡地です。
臨海部再開発事業の、みなとみらいの再開発に協力するために、造船所の移転を決断したのも、K氏でした。
後年、当時の横浜造船所の部長だった方の娘さんと、知り合いました。
彼女の話によると、当時の造船所は、新しい船の進水式の時に、関係者の家族をドックに呼んでお祝いをしたそうです。 現在の高島町の交差点が、横浜造船所の正門だったのよ、と彼女は当時を懐かしそうに話してくれました。
時々行く横浜ですが、みなとみらいを通る時には、こんなことを思い出してしまいます。
戦艦武蔵から、だいぶ脱線しました。
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